魚座の
"私たち"ですが
魚座の神話ってご存知ですか?
簡単にご説明いたしますと
美の女神・アフロディーテ(母)
愛の神・エロス(息子)
の二神が
怪物から逃げるために
魚に変身をして
離れ離れにならないように
お互いをリボンで
結んで
2つで1つに
なったのが
切っ掛けなんだそうです
だからかな…
私
(物事を捉える役割を持つ者)
わたし
(子供のように純粋で無邪気さを持つ
感情表現が豊かな者)
この二つの精神を
何故、
私自身が持っているのか
ずっと
言葉に
出来なかったんですけど
今だから
文字にしようと
出来る
感情の振れ幅が激しい
私たちですが
そりゃそうなんですよ
受け取った
悪意や善意の
どちらかの感情によって
怒りや悲しみを心から顔で表し
嬉しさや楽しさは声に出して
笑う。
それだけ、
人の心に触れた感覚に
敏感なんですよね
わたしが日記で
怒りを書くのだって
"それ"が許せなかった
(優しさや純粋さを淘汰する行いに対して)
嬉しさを文字にするのだって
素敵だと思ったから
(人が本来待っている根幹(主軸)に対して)
世間一般で言う
母性に対する考え方って
"優しさ"から
来ると思っているんですよね
母という生き物は
感受性が豊かだと
"私たち"は
思っているんです
私が
自分の為に怒らなかった分、
他者の痛みに対して
(諦めや無駄と感じている者達の代わりに)
怒る事により
気持ちが楽になっていたんです
いつか
誰かが
自分の事を庇ってくれると
渇望して
でも
それって
結局は
「他力本願」なんですよね
私たちのやり方は。
転じて
他者はその優しさを持つ者に
【甘えて】
人間の真価に気づく事もせず
成長する事の努力を
しなくなってしまうんですよね
私は
妹から
「ねぇねは優しいからね」
と
言ってもらえるんですけど
私にとって
その言葉に対する意味の捉え方は
【都合のいい子】
としてしか
今までは
捉えられなかったんです
だから
私たちは
(優しくないっ)
と
否定し続けていたんです
都合よく扱われない為に…
自分という生き物を守る為に
だから
怒るんです
世間の荒波で生きる
優しい人、真面目な人、
努力し続け
頑張って生きる人々に対して
夢や希望を持つ事の
"愚かさを正当化"しようとする者に対して
それを
(無自覚な)悪意を持って
金にして
利用し続け
搾取する事により
自分に酔った
愚か者が
どれ程、
見苦しいかを改めて
考えていただく為に
言葉にして
文字にして
私たちが
先ずは
どうすれば
自分が思い描く
望んだ道筋を
歩む事が出来るかを
模索する上でも
漸く
導き出した答えは
「自分が生まれ持って大切にしてきた事」
それを
認めて
育んで行くべきであり
他者を認める前にも
自分のことを否定しないことから
先に始めなければ
ならないと
考えさせられた
"時間の旅"でした
本当に感謝しております
"私たち"に会いに来てくださった
素敵なものを軸に持っていらっしゃる
人間様。
あなた方のおかげで
凝り固まった価値観を
柔軟に捉える事が
これからは
しっかりと
出来そうです
先ずは
日記を
毎日、出来るだけ
続けていくことから
自分なりの頑張りを認めていきます
では、また