おはようございます?
先日は海の日でしたね??
真偽の程は不明ですが、海の日があるなら山の日も…という感じで山の日が祝日になったと聞いたことがありますそれなら川の日も祝日にしてほしい気がしますが、ダメですかね( ´?`)やはり海と山は別格なのでしょうか…
本日15:00〜23:00で出勤しますお時間があればぜひ^ - ^
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今回は宮尾登美子「鬼龍院花子の生涯」です
大正から昭和にかけての高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎とその一家の波乱に満ちた生涯が描かれます
物語は鬼龍院政五郎、通称鬼政の養女として育てられた松恵という女性の視点で進行します「鬼龍院花子の生涯」と題されていますが、実は主人公は鬼政もしくは松恵と言えるでしょう…映画の中での夏◯雅子さんが放つ「なめたらいかんぜよ!」の台詞が強烈ですが、実は彼女が演じたのは鬼龍院花子ではなく、松恵だったのです私も含めて勘違いしていた人、多いんじゃないかな…(??;)
ちなみに花子と言うのは鬼政唯一の血の繋がった娘の名前ですなぜ「鬼龍院花子の生涯」としたのかは謎ですね?
この小説を読んでいちばん印象に残ったのは、流れるような語り口です音読したら自然と節回しができるような独特のリズムのある文章なのですそして場面が盛り上がるところは句点が少なくなって、講談師が一気に修羅場を読むように物語がこちらに畳み掛けてくる…
作者が1978年に「一絃の琴」という作品で直木賞を受賞した時、選考委員は「語りはこの人の吐く息であり、借りものでないことを証し、誰も真似できぬ芸境を確立しているのである。」と評しています
こういう文体は同じ時代に女流作家として活躍した山崎豊子の文章とは対照的だなと思いました山崎豊子は男目線で男の社会を描いたのに対して、宮尾登美子はあくまでも女目線で女の生き様を描いているのです
社会を動かす男が"表"だとすれば、それに翻弄される女が"裏"そこに光を当て、独自の語り口で女の人生の悲哀、絶望、再生を描いています
この小説、ともするとただの任侠もので終わっても不思議ではないかと思いますそれでも現代に生きる読者を惹きつけるのは、作者が芸の域にまで昇華させた語りと、それによって浮き彫りになる一人の女性の生き方があまりにも哀しく美しいせいでしょうか…
?冷し鶏塩ワンタン麺です(*´?`*)